... listening to 4'33" 

調和的でサスティナブルな社会・経済システムとは?変化の激しい世界で歩きながら考える。

税をめぐる妄想 1

日本ではこのところ、現政権による消費税率引き上げが問題になっている。
租税の起源はよくわからないが、古代文明の時代から、穀物、労働、兵役など、何らかのかたちで租税は徴収されていた。

記録に残っていない、いちばん古い税の起源はどんなものだろう?勝手に想像すると、われわれ人類が、まだ家族や血族を中心とした集団で、素朴な狩猟生活を送っていた頃には、すでにその萌芽があったのかもしれない。
たとえば、共同体のだれが獲物を捕っても、必ず獲物の全てもしくは一部を、いったん共同体のリーダーに渡さなければならず、リーダーが各メンバーへ分配するという「掟」ができたとする。このとき、獲物を捕った者が自分の「分け前」に対し、不満を抱くことは容易に考えられる。リーダーが他のメンバーより多くの分け前を取っていればなおさらだ。くわえて、掟を破ればリーダーから罰が与えられるならば、じゅうぶん権力争いの原因になりうる。

リーダーは、そのようなグループ内の不和、権力争いを避け、共同体の秩序を維持しなければならない。しかし、グループの構成員が増え、言語と思考が発達するにしたがい、「力」による強制・支配だけでは、当然難しくなってくるだろう。リーダーは、食糧や財の徴収と(不公平な)分配について、それを正当化するような何らかの説明をして、メンバーを納得させ、同意を取りつけることが重要になる。農業や牧畜が始まり、生産における分業がすすむと、ますますその必要性は高まったに違いない。

そこで、構成員を危害から守る(警察機能)、多民族の襲来や飢饉などに備える(軍事防衛・安全保障)、メンバー間のトラブルの仲裁(裁判機能)といった、以前からリーダーの役割として了解されていた活動が、財や労働力の提供とその分配に紐付けられ、システムとして正当化されていく。こうして、国家(権力)と租税と、いわゆる(軍事を含む)公共サービス(事業)が、三位一体で同時的に発生したのかもしれない。

言語の発達により、事物や行為が概念化されることで、渾然としていた共同体の活動が切り分けられ、再度それらを結びつけて考えることが可能になる。そうして、事物と行為は意味付けられ関連付けられて、取引・交渉・交換可能なものとなっていく…。
なんだか妄想しているうちに、租税が文明社会の根幹をなすもののように思えてきた。