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調和的でサスティナブルな社会・経済システムとは?変化の激しい世界で歩きながら考える。

『※写真はイメージです』

先日、買ってきたお菓子のパッケージを見て、あらためて気がついた。印刷されているのは、高級そうなトリュフチョコと生クリームを使ったデコレーションの写真。そして、その下に小さく、『※写真はイメージです』という一文が添えられている。

「写真はイメージです」って、、、字義通りに捉えると、頭をかかえたくなるような日本語だ。もちろん、これは「写真は映像です」という意味ではない。「写真は、実物の商品ではありません」という、メーカー側の但し書きだ。近年モンスター化が進むクレーマーや、かれらの訴えで消費者団体とか公正取引委員会が動き出すのを未然に防ぐための、メーカーの防衛策なのである。「そんなこと、常識で考えれば分かるでしょう?」というのが、ここ日本でも通用しなくなって久しいということかもしれない。噂によると、パッケージ旅行のパンフレットに載っている風景写真にまで、この一文が付いているとか…マジで!?

「じゃあ、そんな写真使うなよっ!」と、さらにツッコミたくなる人もいるかもしれないが、そうはいかない。商人(企業)にとっては、「儲けること」「利益を上げること」が最優先すべきミッション、一番の美徳なのであって、「正直さ」「誠実さ」は、営業を続けるための中長期戦略として、副次的に必要になってくる倫理的価値に過ぎない。消費者に商品を手に取らせ、レジまで運ばせるためなら、中身とは似ても似つかぬステキなイメージ写真(トートロジック!笑)で、脳内の美味しい記憶を刺激することもいとわないのだ。
私は、それを非難しているのではない。これはきっと、魚にとって泳ぐことが本能なのと同じくらい、「あきんど」の本能なのだから。それを変えろと言うのはナンセンスだし、統治者の論理と権力によって経済活動にむちゃな規制をすれば、何らかのかたちで歪みが出るだろう。

もちろん、行き過ぎた商業活動から消費者を守るため、何らかの規制は必要になる。携帯ゲームの「コンプガチャ」のように、消費者が子供中心ならなおさらだ。しかし、今までにない商品・サービスや、新しいビジネス・モデルが次から次へと登場するなか、迅速で的確な対応をするのは難しいだろう。政治家や役人に任せていて大丈夫か?という意味だけでなく、ビジネスにおける変化のスピードが、もはや立法・行政システムには到底追いつけないレベルになっているように見える。やはり良識ある一般消費者と良識ある業界のリーダー、双方の声と行動が、今後ますます重要になってくるのではなかろうか。

ところで、昔の見世物小屋に、「おおいたち」という見世物があったそうだ。「大きな鼬」かと思いきや、小屋の中には大きな板に、血に見立てた赤い塗料がぶちまけられていているだけ、といった代物なのだが、そうと知りつつ、お代を払って見るのが粋な江戸っ子なのだと聞いたことがある。
無粋な悪質クレーマーやモンスター・カスタマーが増えたのは、日本の経済だけでなく、文化も衰退しつつあることの表れなのかもしれない。たとえお財布が寂しくても、「おおいたち」を楽しめるようなユーモアと心の余裕を持ち続けたいものだ。