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調和的でサスティナブルな社会・経済システムとは?変化の激しい世界で歩きながら考える。

ショック・ドクトリン ― 惨事便乗型資本主義 2

「…2004年末に大津波がスリランカを襲ってからすでに数か月が経っていたが、私はここでも同じような手口を目撃することになる。災害後、外国資本家と国際金融機関はただちに結託してこのパニック状況を利用し、村を再建しようとした数十万人の漁民を海岸沿いから締め出したうえで、この美しいビーチ一帯に目をつけていた企業家たちの手に引き渡したのだ。
(中略)大災害から生き延びた大部分の人々が求めるのは、「白紙状態」とは正反対のものだ。被災者たちは回収できるものは極力回収し、残ったものは修理・修復して使おうとする。それは自分を育んでくれた場所との絆を再確認したい、という思いがあってこその行動である。(中略)
一方、惨事便乗型資本主義者たちは、元通りに修復することにはまるで興味はない。イラク、スリランカニューオーリンズにおいて「復興」という名で呼ばれた作業とは、つまるところ災害の後片づけと称して公共施設やその地に根づいた地域社会を一掃し、すかさずそこに企業版「新エルサレム」を打ち立てることにほかならなかった。」(上巻p9-10

原書は2007年の出版だが、東日本大震災後の昨年秋に日本で翻訳本が発売されためぐり合わせに、複雑な気持ちを禁じえない。
そして、今も故郷に帰れない多くの人々の苦しみを思うと、はっきりとは書けないが、どうしても考えてしまう。もし、あの事故が無かったら?政権与党が違っていたら?政府に強力なリーダーシップと素早い行動力があったら…

いや、たとえそうだったとしても日本は大丈夫だ。今回の震災でも原発事故でも、日本国民は茫然自失になったりせず、その精神的な強さと社会的な絆、市民レベルの行動力を世界に見せつけた。日本人は土地に対する権利意識も高いし、ショック・ドクトリンが入り込む隙間は無い…そう思いたい。だが、ひょっとして報道されていないだけで、実は着々と計画は進んでいるのだろうか?

だとしても、そうそう“彼ら”の思う壺にはならないだろう。今の内閣じゃないが、ドジョウみたいに小さく弱くても、いざしっかり捕まえようとすると、ツルツルと手が滑って案外難しい。日本はそんな不思議の国なんじゃないかな。