... listening to 4'33" 

調和的でサスティナブルな社会・経済システムとは?変化の激しい世界で歩きながら考える。

『市場を創る―バザールからネット取引まで』 2

マクミラン氏は、何でもただ市場に任せればよいと考えているわけではない。市場参加者のボトム・アップによる自生的変化を市場の主要原動力としながらも、市場がその潜在力をフルに発揮するためには、政府の助けが必要であるとしている。

「…しかし、自由市場の熱狂的支持者たちの主張とは反対に、市場があればよいというものではない.
政府が小さいことは、当然、経済の大部分が市場に任されていることを意味しているが、小さな政府は必ずしも高成長を保証しない.(中略)ある種の投資は政府が行わなければならない.データの示すところによれば、道路、鉄道、橋、港、電話や電力のネットワークなど、有効な公共的インフラストラクチャを構築した国々では成長が速い。(中略)政府が小さすぎることもありうるのである.
(中略)最貧国のいくつかは圧倒的に市場経済であるが、意思決定のほとんどを市場に任せているにもかかわらず、成長できずにいる.」(p316

ビジネスの世界で、企業はしばしばゲームのプレーヤーにたとえられるが、市場がスポーツに似ているとすれば、次のようにも考えられる。
たとえば、野球がまったく普及していない国で、野球を人気スポーツにしたかったら、広い野原がたくさんあるだけではダメだろう。まず、誰もが野球を始めやすいように、野球振興会や野球協会のような組織が、いろいろとお膳立てをする必要がある。野球場をつくるのはもちろん、バットやグロープなどの道具が手軽に入手できることも不可欠だし、ある程度普及するまでは、ルールの説明会を頻繁に開催したり、審判育成に力を入れることも必要かもしれない。

氏はさらに、市場経済と国家の関係、その性質の違いについて次のように述べている。

「経済における国家の役割は何だろうか.誠実な答えは、明確なものにはなりえない.2つの命題が市場の強さとその限界が何であるかを示してくれる.第1は、市場の活力はその分権的性質から来ているということである.すなわち、市場は、問題に対する創造的な解決策を見出す権限を人々に賦与する.この性質は、基本的に中央集権的な存在である国家とは正反対のものである.(中略)しかし、このことから、国家が市場にタッチすべきでないということにはならない.第2の命題は、現代経済で発生する手の込んだ取引にとって、国家の存在は不可欠であり、国家は市場ならば過少供給しかしない財・サービスを供給したり、市場のルール設定者かつ審判として背後で活動すべきであるということである.(中略)もっとも大事な点は、分権には限界がるものの、分権的な――すなわち市場ベースの――意思決定が経済的成功のために不可欠だということである.」(p213

先ほどの野球のたとえで考えると、ショック・ドクトリンは、住民の土地を奪って広い野球場をつくり、いきなり外から強いプロチームを連れてくるようなものといえる。海外のプロチームは資金力もあり、参入国の政府に働きかけて、ルールさえも自分たちに都合よく変更してしまう可能性すらある。
そう考えると、国家(政府)と市場(企業)が、癒着せずに緊張感を保ちつつ相補的な関係を保つのは難しいようにも思えてくる。やはり、この2つとは完全に独立したNGOや市民の目による厳しい監視が重要になるのかもしれない。