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調和的でサスティナブルな社会・経済システムとは?変化の激しい世界で歩きながら考える。

『市場を創る―バザールからネット取引まで』 3

格差の少ない弱者にもやさしい社会や貧困、環境破壊のない世界を願っている人々(もちろん私もその一人だ)が、市場原理や競争社会こそが問題の元凶だと決めつけているのを、しばしば見聞きする。本書を読めば、そのような市場に対するステレオタイプ的な観念が間違いであることがわかるだろう。よく設計され、うまく機能する市場は、財やサービスが適正な価格で効率よく分配され、多くの人々がより豊かになるのを助けることができる。
しかし、社会には、本質的に利益を追求する市場によっては、供給を任せられない部分も確かに存在する。

「もっとも雄弁な市場支持者であるアダム・スミスも、市場の限界を認識していた.何でも市場によって供給することはできない.国家は、国防と警察力を提供することによって市民を守らなければならない.さらに、国家は、「社会にとって非常に有益かもしれないが、その性質上、どの個人に対しても利潤では支出を賄えないような公的制度や公共事業を設立し、あるいは維持する義務を」負っている.
こうした財・サービスは公共財と呼ばれるものである.」(p229

さらに、マクミラン氏は本書の最後のほうで、経済学的分析そのものの限界についても述べている。

「もちろん、経済学的分析には限界がある.経済学的分析では、政府が所得再配分をすべきか否か、どの程度再配分すべきかという重要な問題を解くことができない.経済的成功の成果をどのように分かち合うべきかということに関する人々の信念は、各人の価値観に帰着する問題である.しかし、それは単なる価値判断の問題でもない.(中略)しかし、社会が貧しい人々に対して負う義務は何かというような再配分に関する中心的問題については、よいデータをもってしても答えることはできない.その答えは何が公平で、何が公正かといったことに依存しているからである.」(p326

生意気だが、上の引用を含む終章には、経済学者としての氏の良心のようなものが伝わってくるように感じた。
ここでいわれている経済学的分析とは、もちろん狭義の意味だろう。再配分の問題については、上記引用で「公平」「公正」という言葉でほのめかされている厚生経済学、福祉経済学、政治哲学と呼ばれる分野から回答が試みられている。

このブログのテーマからすれば、再配分は避けて通れない問題だが、そちらへ足を踏み入れようとすれば、アマルティア・センロールズといった巨人たちが壁のように立ちはだかっている。さて、どうしたものか…(苦笑)。