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調和的でサスティナブルな社会・経済システムとは?変化の激しい世界で歩きながら考える。

目的はサバイバル

最近のニュースによると、東京大地震研究所は、首都直下型など、南関東におけるマグニチュード7級の地震が4年以内に発生する確率が70%になるという試算を出したそうだ。
私はどうも、「確率」という概念がイマイチ腑に落ちないのだが、地震の起きるメカニズムは“複雑系”らしいので、もしこの試算が旧来の周期説に則ったものなら、あまり当てにはならないと思う。

それはともかく、去年の体験や進化生物学の話から感じることは、企業のマネジメントであれ、政府のガバナンスであれ、その主な役割は、広い意味での「危機管理」=サバイバルではないかということだ。
安全(健康・環境)、利益、資産、権利などが著しく損なわれることのないよう、事態が起きないための予防策と起きたときの対応策を、責任を持って実行することが、トップになればなるほど求められる。

その観点からすれば、よく聞く「大きな政府」か「小さな政府」か?という議論も、結局は国がどこまで危機管理をおこなうべきか?その範囲の問題だとも考えられる。これは徴税・税収問題とセットになっているから、当然そう単純な話にはならないだろう。でも、政府の規模について、「分配」の衡平・公正という観点ばかりから議論されるとしたら、何か本質的な部分からズレてしまうような気がする。つまり、「分配」問題は、危機管理=サバイバルの力点を、個人と社会のどちらにどれくらい、どのように配置するのが適切か?という視点で問わないと、いつまでたっても建設的な回答が得られないように思う。
社会と個の利害は、おおむね一致するも、しばしば対立し、つねに何かしらの綱引きをしながら微妙なバランスを保っているのだから。