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調和的でサスティナブルな社会・経済システムとは?変化の激しい世界で歩きながら考える。

チーターとフリーライダー

進化生物学者、長谷川英祐氏の本、『働かないアリに意義がある』は、ハチやアリなど「真社会性生物」の興味深い生態について書かれている。
かれらは、繁殖を専門とする女王(王)と、労働を専門におこなうワーカーからなるコロニーを形成して集団生活を営む。しかし、「個体が貢献してコストを負担することで回る社会」が常態化すると、そのシステムを利用して、社会的コストの負担をせず、自分の利益だけをむさぼる裏切り者がでてくる。生物学では、そのような裏切り者を「チーターcheater=だます者)」と呼ぶが、社会学でいうところのフリーライダー(ただ乗り)にあたる輩だ。
この現象は、昆虫と菌という、まったく異なる生物でも共通して見られ、「メンバーが利他的に振る舞う社会では、フリーライダーが現れる」という論理の普遍性を示しているという。
人間社会が抱えているのと同じ問題を、われわれよりはるかに小さくて下等な(失礼!)生物も抱えているとは驚きだが、ということは、フリーライダー問題は、いわゆる「人間性」に根差した問題ではないということだ。

では、チーターが侵入したコロニーはいずれ潰れてしまうのに、なぜチーターも通常型も、滅びずに長年共存してこられたのか?それは、チーターがコロニー間を移動する、いわば「感染率」と、コロニー自体の増殖率に対するチーターの負の影響、いわば「毒性」のバランスによって説明できるらしい。このような関係は、病原体と宿主の関係でも見られ、最初は非常に毒性の強かった病原体が、流行を繰り返すうちに弱毒化していく例も、この理論で説明可能だという。

だとすると、メキシコの麻薬戦争のような犯罪組織やテロリストとの戦いは、強毒性の病原菌を排除しようと高熱を出す、人体(国)の命がけの戦いと言える。問題自体を無くすことを「目標」にすることは、ときに非常なリスクを伴うということだろう。もちろん麻薬も犯罪もいけないことだが、例えば、もしSFみたいに欲望や快楽といった本能を抑えるような不自然な手段や極端な方策を取ると、案外簡単に人類は滅んでしまうかもしれない。いわゆる「病気は治ったが、患者は死んでしまった」状態だ。

生物たちは、社会という他者との協力を必要とするシステムにいながらも、その中で個体自らの利益を少しでも多くしようと、様々なやり方で他者を出し抜こうとする。
人間社会の問題も、その根が生物的本能や生命活動の本質にあるのなら、人類の取れる選択は、問題自体を無くすことではなく、問題を最小限に抑えること=「弱毒化」と「共生」しかないのだろうか?
フリーライダー問題に限らず、このようなケースは実はけっこう他にもあるのかもしれない。