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調和的でサスティナブルな社会・経済システムとは?変化の激しい世界で歩きながら考える。

所有、売買、使役できるものはみな奴隷?

古代ギリシャもローマも、生活や経済の基盤を奴隷労働に負っていた。時代が下るにしたがい、「身分としての奴隷」は減っていったかもしれない。現代では、奴隷制は国際法で禁止され、表向きは存在しない、してはいけないことになっている。しかし、今でも奴隷労働を強いられている人々は世界中に存在し、実はかなりの数にのぼるとも言われている。
それに、本物の奴隷とは比べられないとしても、いわゆるブラック会社で過酷な賃金労働をさせられているサラリーマンや派遣社員だって、ある意味、扱いがマシになった奴隷でないと言い切れるだろうか?

古代や中世と比べたら、現代社会は、その誕生にも維持にも、はるかに膨大な資本と労働力が必要とされるように思える。にもかかわらず、それとは反比例するように、奴隷労働が社会基盤に占める割合は(少なくとも表面上)減っていった。その分の負荷がどこへいったのかと歴史を眺めてみると、テクノロジーと金融システムの発達が奴隷労働の肩代わりをするようになったようにも見える。

だとしたら、極端な言い方をすれば、奴隷制や奴隷労働は、単に社会における労働力の調達方法、あるいは分業スタイルの問題に収束できるのか?それとも、素朴な生活を送る少数民族やインカ文明のような特殊な例を除くと、私たちの社会は必然的に奴隷労働を生み出してしまうのか?
この疑問については、勉強しながら、もう少し考え続けていきたい。

それにしても、私のような現代に生きる庶民は、電気奴隷、石油奴隷、家電奴隷や工作機械(ロボット)奴隷たちのおかげで、ほんの少し自由を獲得した奴隷に過ぎないのだろうか?
でも、高性能の奴隷ができたと思って導入したパソコンや携帯電話のおかげで、一日24時間、世界中のどこにいても仕事ができるようになってしまい、以前にもまして仕事の奴隷になったと感じている人も少なくないに違いない(笑)。