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調和的でサスティナブルな社会・経済システムとは?変化の激しい世界で歩きながら考える。

パシリは奴隷の始まりか

文明の興隆には財の蓄積と労働力の集中投下が必要だというようなことを書いたが、人類が最初に他の人間を奴隷にし始めたのは、土木建築作業や農作業などの強制労働をさせるためだったのだろうか?
奴隷の起源は古すぎてわからないが、「奴隷的な立場」がうまれた時期は、おそらくもっと素朴で小規模な社会集団 ―親族・血族中心の小グループが、社会の構成単位だった頃まで遡れるのかもしれない。

そう考える理由の一つは、他人のために強制的になにかをさせられ続け、しかも、その立場、境遇、所属する集団から容易に抜け出せないという状況は、古代から現代にいたるまで、家族を含め、さまざまな社会単位に普遍的に見られるからだ。たとえば、子供たちの社会でも、仲間うちで特定の子供が“パシリ”にされ、それにもかかわらず、その子がグループを抜け出そうとしない心理が、しばしば見られる。

人間に限らず、集団で生きる生物にとっては、自分の所属する社会(群れ)から外れること=「死」を意味することも少なくない。私たちの遠い先祖の中に、他のみんなに疎まれても、何とかパシリ的な存在として自分の居場所を見つけ、必死で生きてきた者たちがいたかもしれない。そして、人類の歴史の中で、飢死するよりは、殺されるよりは、奴隷になる方がマシだったような、過酷な境遇におかれた人々が大勢いたのだ。
人間社会が奴隷労働を容認してきた背景には、厳しい生存環境と、皮肉にも猿人だった頃からのサバイバル本能である、人間の「所属欲」「集団帰属欲」の存在があるのかもしれない。

グループの構成人数が増えれば、メンバーの地位、序列関係も多層化、複雑化してくる。
また、労働の分業化がすすめば、比較的楽な仕事やリーダーや異性にアピールできる仕事と、辛く大変な仕事、必要だが魅力のない仕事ができる。特定の地位、序列と労働行為が結びつき固定化されれば、「職業」の誕生だ。
辛い仕事、魅力のない仕事は基本的に誰もやりたくないから、権力や名誉などと結びつかない限り、おのずとグループ内で劣位のメンバーへ割当てられるようになるだろう。また、誰もが嫌がるような仕事は、懲罰化して、グループ内でルールを破った者へ強制的に割当てられるようになった可能性も考えられる。
こうして、社会の最下層という序列、不名誉な社会的評価、辛い労働の三つが結び付き、奴隷を生み出す土壌となったのかもしれない。

とにかく、人間は嫌なことを自分がやる代わりに、他人にやらせること快適さ、うま味を覚えてしまったことは確かだろう。