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調和的でサスティナブルな社会・経済システムとは?変化の激しい世界で歩きながら考える。

ネット情報の玉石石石石混交

インターネットとパソコンをはじめとするさまざまな情報端末の普及により、いつでもどこでも簡単に大量の情報を入手することが可能になった。便利といえば便利になったが、物事の適切な判断がしやすくなったかといえば、答えるのは難しい。私たちは、つい、情報は多ければ多いほどよいと考えがちだが、インテリジェンスの観点からすると、必ずしもそうではないようだ。

インテリジェンス研究家の北岡元氏によると、私たちが直面する問題のうち、回答(候補)が複数ある「ランダム問題」や「不確定問題」では、必ずしもインフォメーションがたくさんあればよいというものではないようだ。同じレベルのインフォメーションをいくら増やしても、分析の精度は上がるどころか下がり、逆に自信だけは高まる危険性があることが、実験でも確認されている。

また、軍事研究家の松村劭氏は、ネットで提供される知識について、特定の環境における価値観の影響を受けている点を指摘するとともに、今の情報化時代の問題点を、いいかげんに知識が垂れ流されていること、都合の悪い情報資料は報道されないこと、それにもかかわらず多くの人々が、それらの情報資料に“抜け”や“落ち”や“誤解釈”がないと自然に思い込んでしまうことだとしている。

確かに、ネット上で多くの人々が同じような情報を書き込んでいるのを、私もよく目にするが、ネット文化はコピペのコピペのコピペ文化だ(私も人様の著書から引用しまくってる)。一つ一つの情報源を突き止めることは不可能だが、じつは元のソースは一つである可能性はおおいにあり得る。
さらに、そのソース自体の信頼性が極めて低い場合や、意図的な流布である可能性もあるので、「みんながいってるから」信頼するのは、リアルな世界の噂話以上に危険かもしれない。にもかかわらず、時々、どう見てもガセネタやジョークだとわかる書き込みを本気で信じている人をネット上で見かけることがあり、正直、「日本は大丈夫か!?」と不安になる。

あきらかにアクセスできる情報量の増加に、私たちの情報の精査能力と判断能力が伴っていない。まさに、インフォメーションからインテリジェンスをつくりだすことができていない。最近、「メディアリテラシー」という言葉だけはよく目にするようになったが、抽象的な説明ばかりで、それを高める明確で具体的なメソッドは、とんと見たことがないなぁ。

ところで、私のこのブログも、間違いなくネットのアヤシイ情報のひとつ、、、だよね、、、(苦笑)