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調和的でサスティナブルな社会・経済システムとは?変化の激しい世界で歩きながら考える。

互恵社会と生贄文化

インカ社会は互恵制度に基づいていた。それは、インカ帝国の征服・支配方法にもあらわれている。
王は、征服した集団の指導者に、ふんだんに贈り物を与える。征服された側は、それに対して拒否も出来なければ、等価の返礼をすることも許されず、服従することになる。まさに贈与の一撃だ。
しかし、どんな社会も何らかの互恵関係によって成り立っている部分があるはずだ。インカの互恵社会は、ヨーロッパ社会などと比べて、何か本質的な違いがあるのだろうか?

たとえば、インカにはマヤ、アステカ文明と同じく、「人身御供」の風習がある。「カパコチャ」といい、10歳くらいの子供を服飾品で飾り、生贄として神に捧げるのだ。子供は神に捧げられるまで、特別な扱いを受け、大切に育てられたようである。このような風習も、学者によると、神=自然との互恵関係からうまれた宗教儀礼と見られている。陽の光や水、自然の恵みを与えてくれると同時に、時に火山噴火や洪水といった災害をももたらす存在に、人間は「子供」という、最も大切なものを捧げることで応えるのだ。

「人身御供」は、日本も含め世界的に見られた。旧約聖書の「イサクの燔祭」は、当時、人身御供が習慣としてあったことを物語っている。カナン地方では、モレク神やバアル神に稚児が捧げられていたらしい。それらのモーゼやイエス=キリストが否定した偶像崇拝は、生贄による「ご利益信仰」だ。新約聖書を読むと、ギリシャ・ローマにおいても、生贄文化=偶像崇拝は、ひろく民衆のあいだに根付いていたことがうかがわれる。ただ、その頃は人間の子供ではなく、専ら動物の肉やその他の供物に変わっていたようだが。
いつものように少ない資料からの妄想になるが、神への捧げ物が、人間から動物に代わったことは、西洋文明とインカ文明の違いを象徴的に表しているように感じる。なぜ、動物に代えることが可能だったのか?

一つには、動物に対する考え方が真逆であったことが考えられる。牧畜=肉食文化では、屠畜は日常であり、動物の命より人間の命を優先することは当たり前に違いない。それに対し、インカや他の文明の多くは、動物を神の化身や御使いといった、人間よりむしろ神の側に近い存在と考える傾向にある。
そして、インカでは、神=自然に「最も大切なもの」を捧げることに意味があった。人間は、自然の中で生きているだけで、すでにいろいろな恩恵を与えられ、神から贈与の一撃を受けている。一番大事なものは取っておいて、二番目を供えたのでは、神との互恵関係は成り立たないのである。

では、日頃から身近な存在で人間が食べることもある動物を、供物として神に捧げるメンタリティーとは、どんなものだろう?
そこには、神を畏れ敬いつつも、人間の利益のために使役したり、対等であるかのように取引をする、本質的な人間中心主義のようなものを感じる。このしたたかなメンタリティーこそ、インカにはなかった貨幣を生み出し、経済を発達させる原動力となったのかもしれない。