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調和的でサスティナブルな社会・経済システムとは?変化の激しい世界で歩きながら考える。

「ハガレン」じゃないけど

インカ絡みの記事を書いていて、ふと「等価交換」という言葉が浮かんだ。
人間が神に生贄を捧げるのは、豊穣や天災の終息など、自分たちの願いを叶えてもらうためや、すでに受けている恩恵への返礼なわけだが、かれらは捧げ物や儀式と、願い事や恩恵が釣り合っていると考えていたのだろうか?

生贄のような習慣をもつ社会では、神や精霊と人間のあいだを取り持つ、神官やシャーマン、巫女が存在した。かれらが、いつ、どのような生贄や供物を捧げるべきか、神々の意向を感受したのだろう。だが、神々が指定したからといって、人間たちが、捧げものと神の恩恵が等価だとか同等だと考えていたとはいえない。むしろ、インカの人々は、神を相手に等価、同等などあり得ないから、せめて自分たちの一番大切な子供を生贄として捧げたのではないだろうか。

市場における自由な取引は、物々交換であれ貨幣と商品の交換であれ、(合意された)等価交換だ。生贄は別にしても、インカ社会で見られたような互酬関係は、タイミングがずれているだけの等価交換なのだろうか?贈与と返礼に基づく互恵システムと、貨幣による市場経済を生み出すような交換システムは、何が同じで、どこがどう違うのだろうか?
納得できるような答は、そう簡単には見つからないだろうが、考えてみたい。