... listening to 4'33" 

調和的でサスティナブルな社会・経済システムとは?変化の激しい世界で歩きながら考える。

インカ帝国の統治システム

時代的にはかなり新しいにもかかわらず、インカ文明の資料は豊富とはいえない。
その理由の一つは、もちろんスペイン人による征服、虐殺、略奪による。かれらは、王を人質に帝国中から黄金の品を集めさせ、それらを全て溶かして金塊にしてしまった。彼らの太陽信仰の聖地・神殿にはキリスト教会に変えられた。もう一つの大きな理由は、インカ文明がプレ・インカも含め、文字を持たなかったことによる。それでも、研究者たちの努力により、いろいろなことが分かってきたようだ。

「オーガニック・アーキテクチャ」と呼ばれる、自然の岩の形などを生かして造られた遺跡を見ると(それらを造ったのがインカでないとしても)、かれらが私たちとはまったく違った価値観・世界観を持っていたことが理解できる。しかし、そのような文明でさえ、国や権力があるところ、やはり租税は存在していた。

インカ時代、庶民の生活は、「アイユ」という共同体単位で営まれていた。インカ帝国が近隣の他国や共同体を征服すると、その土地を「国の土地」、「神の土地」、「民の土地」に三分割する。そして、国の土地と神の土地での労働奉仕が納税になるのである。それらの土地での収穫物は、軍隊や宗教行事にあてられた。
また、「ミタ」と呼ばれる定期的な輪番労働奉仕もあった。インカ帝国に交代で派遣される家政婦みたいだ(笑)。ミタさんたちは石造建築などに携わったらしい。かれらを引率した首長には贈り物が与えられ、労働者たちにはトウモロコシ酒の饗応があったそうだ。

当たり前だからなのか、あえて誰も言わないようだが、インカ社会には貨幣もなかった(ついでに言うと車輪も)。
経済は、基本的にアイユ単位での自給自足がベースで、帝国も被征服民から食糧や鉱物資源などの財を直接収奪するというより、先に書いたような労働納税や、高度な技術を持つ職人を都に移住させることで財政を賄っていたようだ。ミトマク(ミティマエス)という国家規模の人口移動制度もあった。

かれらは文字を持たなかったが、文字に匹敵する独自の情報伝達の手段をもっていた。「キープ」という、紐の結び目によって数を表す方法だ。キープに記録された各地の納税情報や人口情報などを、「チャスキ」と呼ばれる飛脚が広大な領土に張り巡らされた「インカ道」を走って運んだのである。
キープの解読は、まだ完全にはされていないらしい。インカでキープの作製・解読をおこなっていた「キープカマヨック」という専門家は、専門の学校で4年ほどかけて教育される、いわばエリート公務員だ。習得に4年もかかるのだから、数量に限らず、かなり複雑な情報を伝達できたに違いない。
やはり、権力組織・納税システム・情報伝達手段は、セットで発達するのだろうか?ちなみに、インカの数の数え方は十進法だそうな。