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調和的でサスティナブルな社会・経済システムとは?変化の激しい世界で歩きながら考える。

海辺で生きるということ

この前、海に行ったのはいつだったろう?思い出せないくらい海に興味がないのだが、数年ぶりに海で船に乗った。
海辺で暮らす、海と共に生きるとは、どういうことなのだろう?船上で波に揺られながら、そんなことを考えた。海の波をコントロールすることはできない。潮の満ち引きがある海辺に暮らす人々は、人間の力の及ばない自然の猛威を、陸地の人びとより、ずっと日常的に感じながら生きているのかもしれない。

潟(ラグーナ)に浮かぶ人工都市、水の都ヴェネチアの人々はなおさらだろう。広場には、満潮時の浸水に備えた長いベンチのような渡り板が、そこここに積まれていた。
毛細血管のように張り巡らされた水路には標識やミラーも設置されており、ほとんど道路と同じ感覚だが、潮の満ち引きによって上手く水が循環しなければ、滞留腐敗して伝染病の温床になってしまう。
それどころか、潟(ラグーナ)自体も放っておけば、河川が運んでくる堆積物で陸地となってしまうか、波浪の浸食作用で崎浜が破壊され、外海と連続してしまう危険に常にさらされている。ヴェネチアは、当時最高の治水技術の賜物なのだ。

ヴェネチア共和国では、テクノクラート「賢人会」による計画的治水工事と、強力な公安・情報組織「十人委員会」の諜報活動に支えられた商人寡頭制政治がおこなわれた。船乗り、船主とヴェニスの商人たちは、海難積荷権、貨物保険などを処理する規則や凡例を積みあげ、それらが後の海事法の起源となったそうだ。
海辺で生きるには、きっと柔軟性や臨機応変さが必要とされるだろう。しかし、そこで何かを成そうとすれば―統治でもビジネスでも―同時に、人間がコントロールできるものは徹底的にコントロールすることが必要とされるのかもしれない。

それにしても、ゴンドラの舳先に乗っただけで船酔い気味になってしまった私は、やっぱり海辺では暮らせないわ~。。。

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