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調和的でサスティナブルな社会・経済システムとは?変化の激しい世界で歩きながら考える。

ピダハンについて 7

ピダハンの文化と言語にはユニークな特徴がいくつもあるが、中でも興味深かったのは、彼らの社会に神話というものが一切存在しないことだった。
人類学では、どの文化にも自分たちのルーツや世界がどのように出来たかを説明する物語、いわゆる「創世神話」があると仮定する。
しかし、ピダハンには世界を創った神も存在しなければ、先祖の物語もない。それどころか、彼らの社会には儀式らしい儀式もないし、シャーマンもいないのである。ピダハンには悪霊や精霊が見え、精霊からアドバイスを受けたり、村人に精霊が乗り移ったりすることもあるが、それらの出来事は彼らにとって信仰ではなく、現実であり日常なのだ。

死者は埋葬されるが、埋葬の仕方はみなばらばらで、エヴェレットが見た限りでは、一つとして同じ埋葬はなかったという。唯一儀式めいたものを挙げるとしたら、満月の夜に多く行われる村人全員によるダンス(楽器はなく手拍子・足拍子と歌だけ)らしい。

エヴェレットは、ピダハンに神話や儀式が存在しない理由を、彼らが経験の直接性を重んじ、直接体験以外は受け入れないという強い文化的な縛り(彼は「直接体験の法則」と呼んでいる)があるためだとしている。
話し手もしくは今生きている他の仲間が実際に経験したこと以外の話をするのは全てナンセンスなのだから、誰も見たこともなければ会ったこともない神々や遠い先祖の物語など成立するはずもない。
エヴェレットがイエスや聖書の話をしようにも、彼本人が顔も姿も見たことのないイエスの話に、ピダハンが感心することなどあり得ないのである。

この直接体験の法則により、自分の知らない曾祖父母以上の血縁に基づく親族の概念はなくなり、よって親族構成や近親婚のタブーも必然的にシンプルなものになる。
それだけではない。食料を保存しない、今日より先の計画を立てない、遠い将来や昔のことを話さない、前にも書いたように数や色を表す言葉がないといった他の特徴も、エヴェレットによれば、この「直接体験の法則」から説明できるようである。