... listening to 4'33" 

調和的でサスティナブルな社会・経済システムとは?変化の激しい世界で歩きながら考える。

のび太国の経済政策

結局、国家と経済の関係はどうあればよいのか?という問題は、以前記事で引用したジョン・マクミラン氏の言葉にある通り、誠実に答えようとするほどシンプルには答えられなくなる。氏が言うように、国家は国民の命と安全を守るため、利潤では支出を賄えない福祉や国防(軍事)、国内の治安維持(警察)、インフラ整備などに努めなければならない。そして同時に、市場のルール設定者かつ審判者の役割もある。しかし、公共サービスの財源を税によって賄い、調達を民間企業からしている以上、政府がつねに中立的な立場でいることは難しいのかもしれない。「国民のため」といっても、その国民は民間企業で働いているわけで、企業もまた国に税金を納めている。

それに、資産があり収入・支出があるのは、家庭も企業も国家も基本同じだが、家庭の場合、多くは家長が稼いでくるのに対して、国や企業は下々の者が稼いで、上の人間が使い道を決める(奥さんが財務省だから同じ?)。企業は強烈な中央集権組織だから仕方がないが、民主国家が予算で揉めないわけがないよね。。。

家庭の場合、収入が多くて余裕があるときは、ちょっと良い服や家具を買ったり、レジャーを楽しんだりするが、お父さんがボーナスカットやリストラされたりすれば、お母さんはサイフの紐をキュッと締める。お父さんに頑張ってもらうためには晩ご飯にご馳走を出し晩酌もつけてあげたいところだが、現実にはそうもいかず、お父さんはお小遣いカット、夕食のおかずも一品減るのである。
問題は、お父さんの収入減の原因が、彼の働きぶりというより、むしろ社長の経営能力や社会全体の景気悪化という直接関係ないところにあることである。もちろん、どんなに景気が悪くても利益を上げる企業や個人はいる。どこまでが個々の企業や個人の責任か線引きは難しいが、国の場合、線を引く位置が財政などの政策の違いとなって表れてくるのだろう。

公共事業は、お母さんがお父さんから取り上げたこづかいで、お父さんの会社の製品を買うようなものかもしれないが、正直今の時代の日本で上手くいくとは思えない。これが景気回復の着火となるには、国土の開発度、人口の増加、人びとの物欲、経済社会の成熟度などにおいて、まだ十分な「伸びしろ」が揃ってあることが必要だと思う。日本はもう、良くも悪くも経済的に成熟したのではなかろうか。お年寄りにユンケルを飲ませても、そう元気になるとは思えない。

そして、日本にいるとつい忘れがちになってしまうが、国家の場合、規模の大きさや収支の複雑さもさることながら、一般の家庭と最も違う点は、経済と軍事(国防)が表裏一体であることだ。とくにわが国の場合は、上手くやりくりしようにも、ジャイアンのような上司が家計にまで口出ししてくる(爆)。しかし国防の観点からすれば、のび太のように大人しく言うことを聞き、TPPでも何でも参加するほうが得策なのだろう、きっと。今のように世界全体で景気が低迷し、地球環境も悪化しているときはとくに…命あっての物種。