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調和的でサスティナブルな社会・経済システムとは?変化の激しい世界で歩きながら考える。

ここらで一度お金のこと

そもそも、はてなを始めたメインの動機がお金について書くことなのに、ダイアリーからブログへ移ってからというもの、お金に関する記事は皆無。まったく書いていない(爆)。もうちょっと勉強してからと思いつつ、お金についても経済についても一向に理解が進まないうちに早一年以上経ってしまった。このままではいつまで経っても書けそうにないので、見切り発車的にここらで一度書いておこう。

お金とは何か?お金は「影」のようなものだという人もいる。モノ(財)に光を当てたときにできる、そのモノのシルエット(価値)を映す(移す)影である。
この比喩で考えてみると、影は二次元だから三次元のモノより次元が一つ下がっている。これは、お金はモノ(サービス)と比べると何かが欠けている、あるいは何かが取り除かれたものがお金であるとも考えられる。欠けているものとは、個別のモノ(サービス)が持つ「ユニークさ・かけがえのなさ」かもしれない。
八百屋やスーパーでリンゴが1つ100円で売られているとき、ひとつひとつのリンゴはどれも大きさ・色・形・味などが微妙に違うが、それらは100円という価格設定や交換される100円というお金自体には反映されない。サービスもしかりだ。お金は、モノやサービスが市場で交換されるために、「商品」として単純化(低次元化)されたときにできる影といえる。
しかもこの影は、光のあたり方によって大きさが変わり、市場というフィードバック・システム以外にも、情報の囲い込みなどにより、かなり意図的に影の大きさを操作することが可能なようだ。

また本来、影はモノから離れて存在することは出来ないはずだが、お金という影は硬貨や紙幣などに乗って動くことができる。元のモノやサービスから離れた影は、それ自体がモノ(商品)としての性質を帯び、交換の対象/目的にもなった。
両替・金貸しから金融が発達し、硬貨や紙幣という乗り物さえ必要としなくなったお金はさらに自由度を増し、今や電子のハイウェイに乗って物凄いスピードで世界中を動き回っている。
お金は自由になり過ぎて、亡霊のようになってしまった影なのだろうか?