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調和的でサスティナブルな社会・経済システムとは?変化の激しい世界で歩きながら考える。

GATTと醜い姉妹

前回書いたように、第二次世界大戦の経済的背景となったブロック化と保護主義への反省から、「自由、無差別、多角主義」を原則とするGATTが発足した、といわれている。

「自由」とは自由貿易のことであり、具体的には関税の削減と数量規制の禁止などを意味している。
「無差別」には二種類あり、一つは貿易上の待遇において原産国による差別をせず、GATT加盟国の中で不利な待遇を受けることはないという「原産国間無差別」。もう一つは、いったん関税を支払って輸入国市場に入ったならば、国内の競合品と比べて不利な競争条件を課されるなどの差別をしてはならないという「内外無差別」であり、前者は「無条件最恵国待遇」、後者は「内国民待遇」というかたちでGATT条項の中に謳われている。
「多角主義(multilateralism)」は、大国のパワーによる一方的な影響力行使を意味する「ユニラテラリズム(unilateralism)」や「二国間主義(bilateralism)」、「地域主義(regionalism)」と対峙する概念である。

しかし、これらの原則に基づく自由で開放的な貿易体制というものが、本当に世界各国あるいは世界全体にとって理想的で良いものなのか?というと、それははなはだアヤシイ。
まず、GATTが誕生した背景を見ると、“戦争への反省”という美辞麗句をそのまま鵜呑みにはできない。
GATTには3人の兄弟がおり、みな1944年7月のブレトンウッズ会議生まれであることを忘れてはならない。GATTくんには、今では「醜い姉妹」の異名をもつ二人の姉がいる。IMF国際通貨基金)と、後に世界銀行の一部となるIBRD(国際復興開発銀行)だ。もう一人の兄弟、ITO(国際貿易機関)は、提案はされたものの実際には生まれずに流産した。その蛭子から関税と関税交渉に関する部分だけを抜き出したものが、1948年1月に暫定的に発効されたGATTなのである。
つまり、GATTとその理念だけを見ると一見立派なのだが、この二人の醜悪な姉たちとは切っても切れない血縁関係にあると考えると、後にいわゆる「ワシントン・コンセンサス」と呼ばれる、米国の価値観を世界に押し付けるための体の良い布石だったのではないか?と勘ぐりたくなってしまうのだ。

ただ、実際にはGATT二四条で、例外として関税同盟と自由貿易協定(FTA)を一定の条件のもとに認めている。そして現在、200を超えるFTAが二国間あるいは多国間ですでに結ばれているのである。
FTAを積極的にすすめているのは、おもに先進国とアジアや中南米などの新興国だ。
FTAあるいはEPAは参加国間相互の権利義務関係なので、いわゆる後発発展途上国と呼ばれる貧しい国々にとっては、交渉のテーブルにお呼ばれすることすら難しい。また、GATT・WTOにおける交渉結果のように、他の加盟国がタダ乗りできるものでもない。
かといって、それをしり目に自国は保護貿易的な政策を取り、その間に国内産業を国際競争力がつくまで育てるということも、IMFや世界銀行から、ワシントン・コンセンサスという付帯条件付きの融資を受けてしまったら、まずかなわないのだ。

クリスマスの夜、3兄弟が黒サンタのように思えてきた…

参考文献: 『GATT・WTO体制と日本―国際貿易の政治的構造』 渡邊頼純・著
      『なぜ、1%が金持ちで、99%が貧乏になるのか?―《グローバル金融》批判入門』 ピーター・ストーカー・著