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調和的でサスティナブルな社会・経済システムとは?変化の激しい世界で歩きながら考える。

オフィスグリコが成り立つ ワケ

いつからだったろう?職場にオフィスグリコが入るようになったのは。100円玉を集金箱に入れて好きな商品を一つ買うセルフ販売システムだ。

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写真のお菓子ボックスには、チョコ、クッキー、おせんべいの類いはもちろん、マグカップでつくれるインスタント麺や魚肉ソーセージが入っていることもある。ボックスが載っている冷蔵庫の中には、上部にジュースと栄養ドリンク類が、下部にアイスクリーム(冬は冷凍肉まんも)が入っている。スイーツ好き女子社員から小腹の空いた残業リーマンまで、もれなく狙い撃ちするパーフェクトな品揃えだ。

ある日、そのお菓子の前で同僚の女性と立ち話をしているところへ、スイス人の上司が通りかかった。彼は私たち二人の背後にあるお菓子を指して聞いた。
上司 「このお菓子は?」
同僚 「食べていいんですよ。ここに100円入れれば。」
上司 「ジャパニーズスタイルだな。」 以前、香港オフィスで勤務していた彼は言った。
「中国だったら考えられないよ。みなお金はほとんど入れずに、商品だけ取っていくだろうね。」
同僚&私 「あぁ~。(納得)」
上司 「日本はモラルが高いから。スイスも昔はそうだったよ。でも今は違う。東欧から大勢人が入ってくるようになってから変わってしまったんだ。」
同僚 「日本だってそうですよ。昔ほどモラルは高くありません。」
上司 「だろうね。それでもまだ他の国よりはずっとマシな方さ。」

会話を聞きながら、私は昔の田舎で時おり見られた光景を思い出していた。
農村では、道路に面した畑の隅に木の台が設置されていて、その上にビニール袋に小分けされた野菜や果物が置かれて売られているのを見かけたものだった。値段の書かれた札と代金を入れる箱も脇に置かれていて、通りがかった人がちょっと車を止めて買うのを期待していたのだろう。今もそのような販売をしている農家がまだ日本にあるのか分からないが、誠にもって牧歌的な風景だった。
農家の人は、近所の人が買うことは想定していなかったはずだ。なぜなら、近所とはタダであげたりもらったりの関係だからだ。だから人気のないところで品物だけ取っていくことに対して、“もし見つかったら”という心理的な縛りが働く可能性は極めて低いと考えてよいと思う。

無人で監視もなく、代金を支払わなくても商品を持ち出すことができる。文化あるいは人によっては、“盗ってください”と言わんばかりだと捉えるだろう。畑の無人野菜販売やオフィスグリコのような方式が営業的に成り立つためには、取引の当事者間だけでなく、営業エリア全体の道徳観・倫理観のレベルが問われることになる。
個人や集団が、取られて惜しいほどの財を所有する社会では、やはり道徳教育のようなものが重要なのかもしれない。外部化されたルールだけで人の行動を規制するのは限界があるし、それを推し進めれば、SFに出てくるような超管理社会になってしまうだろう。そして長い間、内面的な道徳教育の部分を、宗教が多く担ってきたに違いない。
ただ、宗教は価値観や世界観を提示するだけでなく、同時に戒律を守ることをも求めるものである。日本では仏教や儒教の価値観が浸透しているが、それとは別に、日本語には『お天道様が見ている』という言葉もある。そのような素朴な倫理“感”は、失われやすいが、けして馬鹿にできないものだと思う。オフィスグリコが、その重要性を無言のうちに語っている。