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調和的でサスティナブルな社会・経済システムとは?変化の激しい世界で歩きながら考える。

いじめと脳と寺子屋

前回、ジョセフ博士の「普遍的倫理モジュール」について少し触れた。他の本で引用されていたのを読んだだけなので詳しい内容は分からないのだが、おそらくこのモジュールは、人類の長い歴史の中で培われてきたものではないだろうか。その一万年以上にわたって人類の集合意識、潜在意識といわれる部分に構築され蓄積されたモジュールは、思考というより倫理“感覚”として私たちの意識に立ち昇ってくる。だから、その古い情動的反応や行動選択と、複雑になった文明社会のルールや文化ごとに異なる価値観との間に、“ズレ”や齟齬が生じてきても不思議ではない。

それらのギャップを調整し、個人レベルでも社会レベルでもよりよい選択をするためには、やはり意識的に自分の反応や取るべき言動を吟味する必要がある。
いじめの話に戻ると、子供に限らず他人の言動や存在に不快感や嫌悪感を感じることは誰しも日常的に経験することだ。その時すぐにキレたり、自分が感じたことや考えたことを無批判に当然だとしないで、一旦立ち止まり相手や第三者の立場で考えてみることは重要である。

脳科学によると、行動を抑制するのは脳の高度な機能らしい。とくに「前頭前野」といわれる部分は、記憶や感情の制御、行動の抑制など、さまざまな高度な精神活動を司っている重要な場所だそうだ。子供は、当然そのような脳機能も発達過程にあるだろうから、いじめ対策も道徳教育や学校・家庭でのチェック機能の強化だけでなく、子供の脳をバランス良く成長促進させるようなプログラムの実施が、案外いじめの軽減に功を奏するのかもしれない。

東北大学川島隆太教授によると、一般的に私たちが頭をたくさん使っていると感じることよりも、単純な計算や音読の方が脳をたくさん刺激することが最新の研究で明らかになったそうである。
ということは、江戸時代から寺子屋で教えられていた読み書きそろばんが、実は脳を活性化する最もシンプルで効果的な教育方法だったのかもしれない。今の日本の小学校教育がどのようなものか知らないが、子供たちにどれくらい音読をさせているのだろうか?教室でみんなそろって教科書を音読するのは、実は教育現場で考えられている以上の効用があったといえるだろう。

参考サイト: 
「脳科学レポート」